http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kusyu.t.htm
3月10日は東京大空襲のあった日。
東京大空襲はアメリカが、東京の下町の「民間人」を殺すためにのみ開発した焼夷弾で、東京都民を大量虐殺した日。
大半の若い男子が戦場に行っていた当時、標的は女、子供、老人だった。
私には、この「空襲」という言葉が、ヒドク懐かしく聞こえた。
多分、それは、最近、「空襲」と言う言葉が、「空爆」と言う無味無臭な言葉に置き換えられているからだ。
「空爆」という言葉は、NATOのユーゴスラビアへの攻撃の際に生まれた言葉だ。
そう、それは、日本が戦後、初めて、加担した他国への「空襲」だった。
小渕総理が、「空襲」に理解を示した事で、無差別に人を殺す意味を含む「空襲」と言う言葉は、「空爆」と言う、ただ、遠くから爆弾を落とす様子を見守る意味の言葉に置き換えられたのだ。
「空爆」には、大量の人が虐殺されるかもしれないと言う「想像力」は含まれていない。
確かに、ユーゴ空爆は事前に空爆位置をラジオで流していたから、東京大空襲とは次元が違うかもしれない。
その後のアフガン、イラクへの空爆も東京への空襲に比べれば、倫理性のあるモノかもしれない。
ただ、60年前に「空襲」による虐殺を受けた我々日本人は、をそこで人が「虐殺されるかもしれない」と考える「想像力」を、決してなくしてはいけないと思う。
戦争によって、ナショナリズムを刺激する事も時には必要かもしれない、でも、それより子供達に伝えなければならない事がある・・・・・ねぇ?小泉さん。